メットライフ生命「#老後を変える」編集部 2018.4.27この記事の所要時間:約7分

負けられないという思いが前に進ませてくれた

東日本大震災から7年が過ぎた2018年3月。宮城県南部の亘理(わたり)郡を訪れると、海岸部にはいまだ整備中の平地がはるか先まで続き、津波の被害がいかに大きかったかを改めて感じさせられます。

かつてここには田んぼや、東北一の生産量を誇るイチゴのビニールハウスが建ち並ぶ、のどかな田園風景が広がっていました。震災前のその姿を取り戻すにはまだまだ時間が必要ですが、この土地に暮らす人たちは力強く歩み始めています。

 

現在の風景

 

亘理郡山元町でイチジク農園を営む山内啓二さん(以下、山内さん)。果実本来のおいしさを知ってほしいと、生食用の完熟イチジクにこだわっています。山内さんがイチジク栽培を始めたのは、東日本大震災が起こった、まさにその年でした。

 

山内啓二さん

 

「ずっと会社勤めをしていたんですが、55歳の時にストレスで体調を崩してしまい早期退職したんです。それで、昔に米や蚕をやっていた畑地があったんで農業でもしようかと」

しかし長らく放っておいた畑地は荒れ放題で、整地から始めなければならなかったそうです。

「もう、ジャングルのようになっていてね。周りの人にはイノシシの運動場なんて言われていたところを、重機で木を切って全部掘り起こし、土作りから始めたんですよ」

思いがけない転機でしたが、山内さんは新しい人生のスタートと捉えて農業への第一歩を踏み出しました。会社員時代に培った行動力ではこんなことも……。

「隣の新地町(福島県)の人が良いイチジクの苗を作ったと聞いて、会社で営業をやっていた時のように飛び込みで伺って、苗が余るなら分けてもらえないかとお願いしたんです。快く分けてもらえて助かりましたね」

退職から2年後、畑の準備も整い本格的にイチジクを植えようとしていた矢先の2011年3月に、あの大震災が起こりました。

「親戚も何人も亡くなって電気や水道もストップして気持ちは沈みきったんですが、でもいつまでも落ち込んでいられないなと、負けてらんないなと思って」

山内さんは1ヵ月後に、イチジクの苗を植えました。
3年後、ようやく初めてのイチジクが実を結んだ時の喜びは忘れられないといいます。
山内さんのこだわりは、木の上で完熟させた生食用のイチジクです。

「一般に流通しているのはまだ青いうちに採っちゃうんで、本当においしいのを食べた人ってほとんどいないんですよ。だから本当の味を知ってほしいと思って」

さらに完熟イチジクを使うと、郷土食の甘露煮などもとびきりおいしく仕上がるのだそうです。

「普通甘露煮は、若いうちに採ったイチジクを砂糖で無理やり甘くするんですが、完熟イチジクなら糖度が20度以上あるので自然な甘みとうまみが生かせるんです」

 

イチジクの加工品

 

加工は奥さまの裕美さんが担当され、その完熟イチジクの甘露煮は、生食用と並ぶ自慢の一品となりました。しかし、広く世間に知ってもらうのは難しいことでした。

「そんな時に、あぶくま信用金庫の方から『メットライフ財団復興事業みらい基金(以下、みらい基金)』(※)の話をいただいて、支援してもらったんです」

『みらい基金』で完熟イチジクに自信が持てた

あぶくま信用金庫の髙橋貞夫さんはこういいます。

「『みらい基金』は、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域で新規事業・販売などをしている方を支援しようというもの。山内さんは精力的にイベントなどに出られていたので、それを支援したいなと申し出させてもらったんです。仙台駅での地域特売イベントや信用金庫業界でのビジネスマッチングに出ていただきました」

 

髙橋貞夫さん

 

活動の場が広がったことで完熟イチジクへの自信を深めたと、当時を振り返り山内さんは次のように語ります。「実際に物産展などで完熟イチジクを食べてもらうと、すごい売れ行きで。ビジネスマッチングも、ものすごく良い機会となりました。たくさんの方と名刺交換をして、こんなにイチジクに関心があるんだと実感できたんです」

支援をつなげていく『みらい会』

2011年に植えたイチジクは、年々枝を伸ばし、収穫量も倍々に増えているといいます。
今は、山内さんが生産部門代表、奥さまが加工品部門代表として二人三脚で頑張っていますが、2年後には法人化し、娘さん夫婦に譲りたいという山内さん。
ですが、夢見ているのは楽隠居ではありません。
この3月『みらい基金』のプログラムは終了しましたが、基金の助成先を会員として情報交換や相互協力をする交流組織『みらい会』が発足し、山内さんはその会長となったのです。

「2年間やってきて、せっかくみんな顔なじみになって横のつながりができたので、ここで終わりじゃもったいない。継続して絆を深めていきたいですね。困っている人には経験を通して得たことをアドバイスできればいいなと思いますし。いつかここをイチジクの名産地にしたいんですよ。作る人が他から入ってくるのも大歓迎。そんなときに『みらい会』が新しい力になれればいいなと思うんです」

 

山内さん、髙橋さん

 

支援によって生まれた力を集めて、さらに大きな力としてつないでいきたい。まだ始まったばかりの『みらい会』で何ができるのか、山内さん自身も楽しみにしているそうです。

東北一から日本一へ!

亘理郡亘理町で「日本一」の夢を掲げるのは、山内さんと同じく『みらい基金』の支援を受けた若手イチゴ生産者の方々です。亘理町は東北一の生産量を誇るイチゴの名産地ですが、かつて町の沿岸部に建ち並んだイチゴ栽培用のビニールハウスは、東日本大震災でその94%が失われ、良質なイチゴを育てた砂地には多大な塩害がもたらされました。しかし『東北一のイチゴ』は場所を変えて、新たなる道を歩み始めていました。

 

鈴木豊さん

 

2013年、沿岸部から場所を移し亘理町の内陸部に最新鋭の設備を備えた栽培ハウスが建ち並ぶ「亘理町いちご団地」が完成しました。その一画で話を聞かせてくれたのは、イチゴ農家三代目の鈴木豊さん(以下、鈴木さん)です。鈴木さんは震災からわずか1ヵ月後に、若手のイチゴ生産者を集めて生産組合『おらほのいちご』を立ち上げたのだそうです。

「『おらほのいちご』の『おらほ』は、“私たちの”とか“うちらの”っていう意味の方言で、年配の人たちはよく使う言葉ですね。自分たちはそんなに使わないけれど、あえて『おらほ』としたのは受け継いできた土地への思いを大事にしたかったからかな」と鈴木さんは語ります。周囲はがれきだらけでイチゴ栽培再開のめどがつかない中で生まれた生産組合でしたが、設立直後は生産組合らしい活動はあまりなかったそうです。

震災から2年後、いちご団地で再び栽培を始めた鈴木さんたちの胸には、イチゴを亘理町復興のシンボルにしようという思いが溢れていました。そのために作り始めたのが良質な、真っ赤に色づいてから収穫する完熟イチゴ。

 

枝になるイチゴ

 

「イチゴは枝になっている期間が長いほど、赤く色づいておいしくなるんです。なるべくおいしく収穫して、なるべくおいしいうちにお客さんに食べてもらいたいと思って」

さらに、夏イチゴの栽培も始め、通年出荷を目指しました。「おそらく、日本全国どこを探してもここだけですよ。夏も冬もできるっていうのは。気候が良いからほぼ1年中できる」と、鈴木さんは胸を張ります。

 

イチゴの出来を見る鈴木さん

 

震災をきっかけに変わった、イチゴ作りへの思い

震災から2年後にようやくイチゴ栽培に戻れた時、鈴木さんはある強い思いを抱いたそうです。

「自分が作った物を自分で売りたい。ただ出荷するのではなく、手塩にかけたイチゴを自らの手で届けたい、そして全国に広げたい」

そんな思いで2015年に設立したのが、販売会社「和莓(なごみいちご)」です。「新しい会社なんで、まずは知ってもらって実際食べてもらわなければ」と考えた鈴木さんは、『みらい基金』の支援を受けて積極的に販売促進イベントやビジネスマッチングに参加しました。

「それまで生産者だったのが、交渉みたいな場に出てなんか変な感じはしましたけど、いろんな人と知り合えましたね。なかなかすぐに取引とまではいかないですけど、『おらほのいちご』のおいしさは食べた人にはわかってもらえたと思います」

イチゴ生産以外の慣れない仕事に悪戦苦闘しつつも、イチゴへの熱意で販路は徐々に広がり、今ではコンフィチュールや冷凍ピューレなどの加工品も自社生産を始めています。アイディアと行動力は尽きることはありません。

 

イチゴの加工品

 

「近々、自社の販売店を作ろうと動いているんです。イチゴの直売場とジェラートなんかの販売と。『おらほのいちご』ってどこに行ったら買えるんですかと聞かれたときに、自社の直売所があればいいなと。『おらほのいちご』を買いに亘理町に来てもらうかたちです。亘理町のPRにもなってほしいんです。ゆくゆくはイチゴ狩りもできるようにしたいですしね」

亘理のイチゴについて熱く語る鈴木さんに、東北一の産地でイチゴを作ることへの思いを伺うと、こんな答えが返ってきました。

「今は東北一ですけど、もっと上に行きたい、日本一になりたいなと思っています」

現在、いちご団地で栽培している人のほとんどは60代以上で後継者もいないそうですが、作る人がいない場所は全部引き受けてイチゴ作りを絶やさないようにしたいと、鈴木さんは語ります。

「新規に参入してくる人も受け入れて、研修しながらイチゴの作り方を覚えてもらって……どんどんイチゴ栽培者が増えていけば一番いい。そうなったときにたぶん、日本一の産地になれるんですよ」

鈴木さんも山内さんも、東日本大震災という類を見ないほどの困難に遭いながらも、自分の道をしっかりと生きることで、今、地域に新しい力を吹き込もうとしています。諦めない力が未来を変える。私たちもその姿を心に刻んで、未来に歩んでいきましょう。

 

※『メットライフ財団復興事業みらい基金』はメットライフ財団が、あぶくま信用金庫および特定非営利活動法人ポジティブプラネットジャパンとの協働のもと、2016年3月に創設。東日本大震災による津波・原発事故の甚大な被害を受けた被災地(福島県、宮城県におけるあぶくま信用金庫の営業エリア)の経済復興と地域社会の再建に寄与することを目的とし2018年3月までの2年間に54件の助成を行った。

 

 

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Posted: April 27, 2018