メットライフ生命「#老後を変える」編集部 2017.10.20この記事の所要時間:約5分

どんなステージでもチャレンジし続ける

「現役を引退し、今は社会人2年目として新しいスタートを切ったばかりです」と、話してくれるのは元プロ野球選手の森本稀哲さんです。

1981年に生まれた森本さんは、小学1年生の時に汎発性円形脱毛症で髪を失い、人の目を気にする少年時代を過ごしました。そんな悩みを忘れるほど、夢中になれたものが野球でした。いいプレーをすれば、髪のことなど関係なく周囲は認めてくれました。そうして、野球に没頭する少年時代を過ごし、高校野球の名門・帝京高校の主将として甲子園に出場を果たします。1999年には、ドラフト4位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。2006年には1番レフトとして活躍しチームを日本一に導きました。横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)、埼玉西武ライオンズを経て2015年に現役引退。17年間にわたるプロ野球人生の幕を下ろしました。

現在は、野球解説やタレント活動のほか、ビジネス関係の講演を行うなど幅広いジャンルで精力的に活躍。「大変なことはありますが、充実した毎日を過ごしていますよ」と、森本さんは現役時代と変わらぬ笑顔で話してくれました。

 

笑顔で話す森本さん

 

異業種への転身は、スポーツ選手に限らず非常に勇気がいるものです。不安はなかったのでしょうか。

プロ野球選手としての森本さんを知る人の多くは、「森本選手といえば外野」というイメージを持っているかと思います。しかし、日本ハムへは内野手として入団をしています。ある時、外野手の負傷により、森本さんが外野手に任命されると連日ナイスプレーを連発。その後、外野手としてデビューを果たします。周囲からは、外野手への転向を勧められますが、それでも内野手に対する気持ちが強く内野手登録を貫きました。

しかし、2006年から2008年に、外野手として3年連続でゴールデングラブ賞を受賞することとなります。その時は「外野手に転向して、よかった!」と内心感じていたそうです。この経験から、いつもと違う役割を任されるときは、成功のチャンスとして前向きに捉えるように変化したと振り返ります。チャレンジすることの重要性を強く認識し、知らない自分に出会う機会と感じられるようになったのです。

転身後の森本さんは、自らをゼロからのスタートとして位置づけました。「これからチャレンジするのは僕の知らない世界ですから、とにかく必死にやっていくつもりです。結果が出ないときは逃げ出したくもなりますが、そんなときほどグッと堪え笑顔で振舞うようにしています。選手時代に学んだことですが、前向きな姿勢は周りにも良い影響を与えます。とても難しいことですが、それができるようになると面白いもので結果も良くなるのです」と話します。

確かに、森本選手といえば、いつでも前向きな姿勢と明るい笑顔が印象的です。しかし、理解はできても実行することは容易ではありません。なぜ、笑顔でいられるのかを聞いてみました。「落ち込んでも笑っても、1日は同じように過ぎていきますよね。それならば、失敗は反省しても引きずらず、前向きに捉えた方が良いはずです。僕は、成功体験だけでなく失敗体験も積み重ね生きていくことが大切だと思うんです」。

未来に描く幸せのかたち

これまで、森本さんは野球に没頭する日々を過ごしてきました。引退後、まず一番に考えたことは、これまで支えてくれた「家族の幸せ」だったと言います。森本さんにとっての家族の幸せとは、最低限のお金はもちろん必要ですが、言葉やかたちでは表現できないものでした。それは、家族みんなが自分らしく生きられることだったのです。そのためには、森本さん自身も幸せでなければなりません。

「仕事と家族と過ごす時間のバランスは取っているつもりです。家族の未来を描いていれば、やるべきことは自然と見えてきます。今は、社会人2年目の新人ですから、とにかく泥くさくてもいい、がむしゃらに取り組む姿勢でありたいと思います。時には、子どもの成長を見守れないことに悔しさを感じることもあります。それでも今、頑張らなければならないことがあります。正しい答えはわかりませんが、“なにごとにも全力でやること”この信念を貫くしかありません」

 

なにごとにも全力でやるという森本さん

 

森本さんの初の著書『気にしない。どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』(ダイヤモンド社)の中にも、

“信念を持って、かたちは決めない————。それは僕の生き方です。先のことはわかりませんが、信念さえ揺るがなければ、変化のなかでも自分らしく生きていけます。”

と、あります。
家族の幸せのために、これからも多くの変化をし続けていくのかもしれません。

成功事例をつくり多くの人に夢と希望を与える

森本さんといえば、観客を沸かせるパフォーマンスでも注目を浴びていました。しかし、子どもの頃は病気のこともあり人前に出るのは不得意だったそうです。
パフォーマンスを初めて行ったのは、2004年のプロ野球再編問題にともなうストライキ明けの試合でした。師と仰いでいた新庄剛志選手に誘われるかたちで、島田一輝選手、石本努選手、坪井智哉選手とともに戦隊ヒーローに扮し、観客席から大歓声が巻き起こりました。しばらくすると、一部からは批判の声も聞こえてきましたが、喜んでくれるファンがたくさんいたからパフォーマンスを続けました。応援してくれる人のためだけに全力を尽くしたのです。

今もなお、変わることなく前向きな姿勢を絶やさない森本さん。その原動力とは、一体どこにあるのでしょうか。そこには、2つの目標がありました。

「一つは、現役選手に引退後の『夢』を与えられる存在になりたいと考えています。スポーツ選手のセカンドキャリアは想像以上に厳しいものです。そのような状況はプロスポーツ選手はもちろん、これからプロを目指す選手にとっても、マイナスでしかありません。僕が成功することによって、現役選手には夢を持ってもらいたいのです。もう一つは、世間の人たちに『希望』を与えたいと考えています。僕のようにゼロからのスタートでもやる気になれば、何でもできるんだということを伝えたいのです」

いつでも森本さんの根源には「人の幸せが自分の幸せ」という考えがあるようです。そんな森本さん自身の一番の幸せは、趣味がたくさんあることだと言います。ゴルフにサーフィン、おいしい食事とお酒……。老後は、趣味に没頭した生活を送りたいそうです。
しかし、人から求められる限りチャレンジを絶やさない森本さんに、老後がやってくるかは疑問です。
「本当ですね。やりたいことはたくさんあるので、老後はなかなかやってこないかもしれない。そう考えると、健康こそが第一かもしれないですね。健康であれば、いくつになっても幸せな生活が送れるんじゃないかと思います」。

 

老後は健康でハッピーであるべきという森本さん

 

プロフィール
森本稀哲(もりもと ひちょり)
肩書:元プロ野球選手、講演家、野球解説者

高校野球の名門・帝京高校の主将として甲子園に出場。
1999年ドラフト4位で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。
2006年には1番レフトとして活躍、チームを日本一に導く。
2011年横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)移籍。
2014年埼玉西武ライオンズへテスト入団。
現在は、経営コンサルティングを手掛ける『CKPLAT』に所属。
野球解説やタレントのほか、ビジネス関係の講演も行っている。
初の著書『気にしない。――どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』ダイヤモンド社 好評発売中

 

著書『気にしない。――どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』

 

 

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Posted: October 20, 2017